裏コラム ファイターの生き方とは

こちらのブログでは、普段、公では言いにくい

㊙️コラムを掲載しています。


ファイターの世界を、しっかりと思い出そう

うつ病やその一歩手前の抑うつ状態が発症するとき、必ず背景に大きなライフイベントがあります。
それが、たとえ栄転であっても。


公で言わないこと

「ファイターは避けよ」とか、「ファイターには気をつけて」といった明言は避けています。

なぜなら、心の成熟がまだ発展途中の人が聞くと、言葉/文字だけを取って歪んだ解釈をしてしまい、いじめや差別を助長するリスクが出てくるからです。


差別ではなく、区分

「ファイターの人もいるよね」
「ファイターでありながらも、本人は真剣なんだ」
「ファイターは大変だよね」

「とはいえ、私は友人には持ちたくない」

差別ではなく、区分することにより、自らのことを選択するのがスライバーでした。


スライバーに区分される者へ与えられるミッション

それは、手を差し伸べる方法を考えること。

適切な解釈での処理が脳内でできているからこそ、いったん離れたファイターの世界は、すっかり忘れてしまいました。

処理が終わっていると、何にも感じませんから、思い出しても平気です。

むしろ、この段階に来るまでは、手を差し伸べる側に回らない方が良い――
という意味でもあります。

今回の記事では、ファイターの世界をしっかりと思い出し、手を差し伸べる方法を一緒に考えていければと思います。


初めてのスランプ

まさに私が手術外科医として極めた、バリバリの外科医時代。

ある領域を極めるキャリア路線にいたので、症例数が国内1、2位に位置する皆が憧れる超エリート病院へ、最年少で選出されたことは――なんと十数年たった今でも、関係者がおののく履歴書になりました。

日夜問わず全国から、ヘリコプターに乗せられて症例が運ばれてくる基幹病院。
しばらくして私は、そのエリート病院で見事なまでにバーンアウトを迎えます。


栄転がきっかけとなりうる

うつ病やその一歩手前の抑うつ状態、過労で倒れるバーンアウトなどは、仕事や生活での「栄転」がきっかけとなることがあります。

「え?不幸や過労がたたってから発症するものじゃないの?」

もちろん、それも要因です。
ですが、こちらのタイプの方がむしろじわじわと進行するので、周囲が気にかけてくれたりします。
そのため軽症で済んだり、早期発見につながり、比較的回復の経過が良好になることが多いのです。


お祝いと同時に発症はよくある話

例えば――
「おめでとう!」
祝福ムードで迎えた結婚や昇格が契機となり発症したうつ病などは、それまで我慢してきたなにかが一気にはじけるのでしょうか。

意外にも、ネガティブがじわじわタイプよりも、大ごとになりやすいのです。

「え?なんで?」

他にも、昇格・栄転・引っ越し・家族にまつわるライフイベントなど、端から見たらめでたいことが契機となり得ます。


オペ中にメスが持てなくなった

私の場合も、きっかけは栄転でした。
白い巨塔を代表して、海を渡る最年少エースの快挙に、送別会はより一層豪華に行われました。

「ありがとうございます。皆さんのおかげです。がんばってきます。背負っていきます」

責任感や名誉を背負い、転勤先でも最初の数ヶ月はエースぶりを発揮。
しかしながらある日の執刀開始合図「お願いしまーす」の直後、手が震え、看護師から渡されるメスが受け取れませんでした

この日を最後に、私はもう執刀医に戻ることはありませんでした。


きっかけは些細ないざこざ

エリート病院ともあって、集まる医師のプライドはエベレストよりも高く、熾烈な外科医同士の縄張り争いに巻き込まれたのが、きっかけだったかもしれません。

しかし、そんなことはよくある話で、今に始まったことではなかったはず。
なのに、なぜ?


マウントの取り合い

執刀した症例数を材料に、外科医の価値を評価する文化は根強くあります。

「自分は○○という難しい手術を10例やったことがあるよ」
「いえ、こちらは△△の難しい症例を10例こなしましたよ」

中には、やったこともないのに「やった」と言い切る人もいたり。
まさに、ですね。

私が栄転先で目にしたのは、だれも止められない?止めない?ひとりの医師の暴君でした。


崩れ落ちる希望

その医師は学会などでもご高名で、私が長年憧れていた存在でした。
術後写真を見れば分かります。技術がかなり高いことが。

「この方と一緒に働けるなら」と希望に満ちあふれた栄転。
「お若いのに腕が良い。だから症例数が集まる」ともっぱらの噂。

ですが、蓋を開けてみたら――
自身の執刀記録を増やすため、執拗ないじめを行う人でした。


どんな手でも尽くす陰湿さ

手術中、執刀中の後輩医師に――
「先輩、すみません。私にはできないので執刀医を交代していただけませんか?お願いします」
と言わせるまで手術を邪魔をしたり、集中できないよう無駄話を続け、返事を強要する。

これまで見たこともなかった光景が、そこには広がっていました。

後輩医師に一言一句抜け漏れなく、上記のセリフを言わせるのです。
そして看護師が記録をとる。そして、その場で執刀医交代。

執刀医となると、その方の業績になります。

この一連の流れが「いつものこと」とされ、そこにいる誰一人、異論を唱える者はいませんでした。


ショックで立ち直れない

赴任したばかりの私には、隠しきれないショックでした。
すぐさま部長などに相談しました。

「あんなの、許してはダメですよ!」

さらに驚いたのは帰って来た言葉。

「あいつに一任してるから、すべて従うように」

その日の夜、暴君に呼び出されて告げられたのは――
「君、余計なことなにか言ったようだね。ここでは従う相手を間違えないように」

希望が崩れ落ちる音が、聞こえた気がしました。


第三者委員会に訴える

ある日の最年少医師のオペ。
指導医が指導を拒み、若干2年生の医師がだれの指導も介助もなく、たった独りで夜中の緊急オペを執刀することになりました。

いつもの「先生交代してください」を言わせるつもりだったのでしょう。

翌朝のカンファレンスで――
7歳の子どもの肘の骨折が整復不良、骨が曲がった状態で固定されているレントゲン写真を見ました。
見たことがない異常さに、吐き気がしました。

「え? おかしい、おかしい、おかしい……」

私は、院内に設置されている第三者委員会に訴え出ることにしました。


患者に被害が出ても平気なの?

カンファレンスで、暴君が言ったのは――
「○○先生が私の指導を聞かずに、勝手にやったもんで…」

それを真に受けた上司たちは、後輩医師を責め立てます。


「え? あなた達、なにを見てるの?」

後輩がそんな人ではないことくらい、だれだって分かるほど優しい方でした。

骨折してオペが必要になった子ども患者が泣き止むまで付き添い、最終的に一緒に誓ったそうです。

「先生、ぼく頑張る。よろしくお願いします」
「先生も頑張るからね」


患者の気持ちに応えたかった。

この患者さんだけは自分が救いたかったから、最後まで執刀したと後にこっそり教えてくれました。

「自分のオペの技術が足りないから… まだ一人前でないから…」
そう言って、自分を責めていました。

初期研修医期間は2年間と法で決められている。
いやいや、つい2年前まで大学生だった子が、一人で骨折の手術なんてできるわけがない


崩れていく心と体

「こんなバカげた世界が、国内トップなのかよ」
私は、栄転を悔やみました。

ですが、華々しく旅立ったものの、帰れません。
私は何かに目がくらんで、劣悪な環境に身を置くことを選んでしまったのです。

骨が曲がってくっついているレントゲン写真を見た頃から、私に異変が起き始めます。

理由もなく、仕事中に急に涙が出る症状がはじりました。


あ、終わった、と思った瞬間

後日、第三者委員会との面談に向かいました。

案内された席に座ろうとした瞬間、めまいがして、椅子にうまく座れず、その場に崩れ落ちました。

その日は委員会の采配で、すぐに帰宅させてもらえました。

委員会が該当の医師たちに「なにかあったか?」と声をかけたら、
「順調です!」の一点張りだったとか。

帰宅後の私は、電気もつけずに部屋でひとり、ぼーっとして過ごしました。
朝まで眠れず、夜を明かしました。

「…あ、これがあの”不眠?” 終わったな、私」


ファイターの世界から逃げ帰る

それから1か月もしないうちに、委員会のおかげで地元へ逃げ帰ることができました。公的な休職手当を出してくださり、いったん充電期間を過ごすことになります。

その時初めて、「休職」「休職中の手当」というものが社会に存在することを知りました。


もう我、関せず

実は、委員会は以前から該当部署でのトラブルを把握していたそうです。

しかしこれまで、若手医師が去っていくことで問題が“解決したことにされ”、委員会としても何も手を打てずにきたという歴史がありました。

今回は、因縁の対決に出るための材料として、私のケースを使いたいとのことで、協力を求められました。

ですが私は、

「もう、我、関せず」

正確には、他人のことに関われるほどの健康状態ではないとだけお答えし、

「ケースの使用はご自由にどうぞ」と伝えました。

とにかく――

私の人生の“底”は、ファイターの世界での完敗でした。

今頃、ファイターたちは高笑いしていることでしょう。


ファイターの世界

当時の私はというと、正真正銘の「世間知らず」。

組織や競争社会などがよく分かっていませんでした。

また、人材にファイター・サバイバー・スライバーの見分けさえ付いていませんでした。

その後も被害者が後を絶たず、委員会が調査を続けます。ですが該当医師たちは――

「指導をしていただけ」

最後の最後まで正当性を訴えたそうです。

委員会からの注意も、取り消されたと聞きました。

「え? 許したんや? 弱っ」

委員会は裁判所ではないから、しょうがないかもしれません。
しかし、あの暴君たちが活躍する場所がまだ存在するのかと。

そう、実はいまだに――
あの病院は高い収益を誇っています。

つまり、ファイターの世界ではwin-winの関係性が成り立っているのです。


その後の結末

風の噂で聞いたのは、患者側からの意見が集まり、
あの暴君メンバーは解体されたそうです。

そう、民意が動かすのです。
患者が病院を動かし
世論が社会を動かすのだと学びました。


ファイターは「正しく」生きている(つもり)

ファイターには、彼らの理論があります。
正義を貫いている(と、言っています)。

自分の都合の良いように周りが動かないと、不機嫌を露わにして、だれかいじめてまでも成果を奪い取ります。
相手が黙りこくるまで、マウントを取り続けます。

ですが、彼らにとってこれは――
正しい指導の一環だと信じて疑わないので、止めることはないでしょう。

ある意味、彼らも間違った概念を植え付けられた被害者なのかもしれません。


社会にはファイターがあふれている

「正しい」と信じていることを一生懸命に貫き通す姿は社会のありとあらゆる場面で見かけます。

貫く理由は、自身の利益かもしれません。

また、防衛かもしれません。とにかく、自己を優先する構図になっています。

皆、不安で不安でしょうがないのかもしれません。


人生の明暗を分ける、たった1つのこと

それは――

1.まずは、ファイターの世界から抜けること。

私は、ファイターの世界から意図せずとも抜け出すことができました。

それでも、しばらくはあの世界に「戻りたい」というか、「戻らなければ」と、あの正しいと思い込んだ世界でもう一度やり直せないかを考えていた時期もあります。

ですが数年たって振り返ると――
くわばらくわばら。

最小のダメージで済んで良かったとしか思えません。

2.十分に休養をとって、心身を清めること

抜け出せば分かります。

逆に言うと、抜け出さない限り絶対に分からない「幸せ」や「平穏」の感覚があります。これがスライブです。

さぁ、どうやって他人に伝えていきましょう?


2024年、動き出した計画

今年になるか、来年になるか。
そう何年も言い続けながら、ついに、動き出しました。

これまで「手に負えない」と思ってきたファイターの世界へ、愛の爆弾を投げ込む計画を練っています。

だからこそ、ファイターの世界をしっかりと思い出すことが第1歩になります。

スラトレ®卒業生の皆さんや、社会を良くしたいと立ち上がっている人たちが

「ああでもない」「こうでもない」と

社会へ愛を振りまく方法を考えるように、私たちも継続するのです。

まさに、共にがんばろう!

そんな感じですね。


To be continued.
Have fun.

— Dr.EKO



Dr.EKO博士

医師・医学博士/産業医・PM&R研究医

整形外科専門医。スタンフォード大学研究医としてPM&R分野を研究後、現在は〈スラトレ®〉を中心に、ウェルネスと自己変容を支援するトレーニングおよびコンサルティングを提供中。上質な暮らしを望む方に向けた「YAEKOFU」では、人生を再設計する深い対話と伴走を行う。

▶︎ 株式会社ヤエコフやえこふクリニック